三重と奈良にまたがる葛尾。昭和36年、村の懇親会で女性5人が死亡した。ぶどう酒に混入した毒物による中毒死。事件から6日後、逮捕された奥西勝が犯行を認める。当時35歳。「妻と愛人との三角関係を清算するためだった」と自白した。すると不思議なことに、村人たちは奥西の犯行を裏付けるかのようにパタリパタリと証言を変えていった。
だが迎えた初公判、奥西は一転無罪を主張。自白は「強要されたものだ」と訴えた。一審は無罪。しかし二審では死刑判決、最高裁は上告を棄却。昭和47年、奥西は確定死刑囚となった。村人たちは事件が起きた公民館を取り壊し、奥西家の墓を掘り返して畑のなかへ追いやった。奥西は独房から再審を求め続けたが、平成27年10月、帰らぬ人となった。享年89歳。八王子医療刑務所で独り、無念の獄死だった。
名張毒ぶどう酒事件——戦後唯一、司法が無罪からの逆転死刑判決を下したこの事件。57年が経った今もなお、多くの謎がある。決定的な物証の不在、自白の信憑性、二転三転した関係者たちの供述。そして、なぜ司法は頑なに再審を拒むのか。その謎に挑むのは、『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』の東海テレビ放送。ナレーションはかつて奥西勝を演じた仲代達矢。平成最後の冬に放つ、渾身のミステリー。第66回菊池寛賞を受賞した“東海テレビドキュメンタリー劇場”第11弾。
奥西は逮捕後、「妻と愛人との三角関係を清算するため、公民館で一人になった隙に、ぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れた」と自白している。しかし、一審の無罪判決後の会見で「警察官が原稿を書くからそれを覚えて言うようにと言われ、自分の意志ではなかった」と話している。また、公民館でぶどう酒にニッカリンTを入れるという肝心な場面の時期や状況について自白がころころと変わっている。
事件があった日の午後5時20分ごろ、村の会長宅から公民館にぶどう酒を運んだ奥西。
死刑判決では「奥西が公民館で1人になった10分間以外に犯行の機会はない」としている。しかし、事件当初、ぶどう酒の運搬に関わった村人の供述では、会長宅にぶどう酒が届いたのは、午後2時15分ごろ。つまり、会長宅に3時間近くも置かれたことになっている。
しかし奥西の逮捕後、関係者の供述は一斉に変わり「ぶどう酒が届いたのは奥西が来る直前」となった。一審の無罪判決ではこの供述は「検察の並々ならぬ努力」によって作られたものだとしている。
奥西はぶどう酒の王冠を「歯で噛んであけた」と自白。公民館の火鉢から発見された王冠の傷が奥西が検証のため噛んだ王冠の歯形と一致するというのが死刑判決の最大の根拠となった。しかし、歯形の鑑定写真はあたかも一致するように見せるため、操作して作られたものだった。
自白では「ぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れた」としている。しかし、成分を調べてみると、ぶどう酒にニッカリンTを混ぜた際に生成される成分が、飲み残りのぶどう酒からは検出されなかった。つまり、ニッカリンTではない別の農薬が混入された可能性がある。弁護団は第7次再審請求でこれを指摘し、再審開始の決め手となった。また、ニッカリンTには「赤色」がつけられているが、村人が飲んだぶどう酒は「白色」だった。